多分、現代の占い師は、道具に甘えている。
しかし、いわゆる“霊視”は私は推奨しません。
なぜなら、それは観る人のレベルにより見えると言っている領域が制限される(何かしら見えていても、本当に“観るべき事”を観るに足りん)し、ぶっちゃけ、その人のコンディションによる不安定さが信頼に足らん。
なので、コンセプト通りの話をする。
前出の占コラムでも触れたかもしれないが、日本では古来より「自分で占える」文化がある。
西洋や諸々では、王族とか政治的に占いは専門家が使っていたんだけれど、日本はニュートラル。
「橋占・夕占、下駄飛ばして天気占い」等。
「問い」を素直に設定して、素直に観れば、ヒントは誰でも観える。
タロットでも占星術(今はスマホでもホロスコープ出せるけれど)でもなんでも、占いが本当に必要なタイミングで「道具が今無いので占えません」とか、基本的に実力不足だと私は思います。
例えば私は渋谷のショップで、お初なのに緊急対応(鑑定)しないといけない事態にあった際は、お店にあるメモ帳に数字や形態等で即席のツール作って対処策を導き出す(犯罪被害のリスク対応もあり、使い捨てが必要だった)とか、ターミナル駅で急遽人生相談され、今私が観ないとヤバいと判断したときは自販機の選択肢(色彩や数字や諸々)を使ったり。
他にも色々、本当の意味で占いが出来る様になると、必要な「客に巡り合わされる」。
だから何も道具が無くても、不安定な人間のカン頼りでも無く、何も無くても占える訓練が必要になる。
私の場合は、タロット始めて1カ月は街の風景を観たらどのカードに当てはまるかとか、歌を聴いたら詞やメロディで即興でカード並べたり、幾何学的に何でも現実界をワイヤーフレームで観てルーンや数秘や諸々で解読したり。
占いという狭い範囲で無く「世界に大して占いの領域を対応」させて訓練した。
本等を読んでおざなりのリーディングとかは正直なところ1日で出来る様になるし、その範囲内では縮小再生産なので、やる意味も価値もないし。
占いをやる人って「自分は特別☆彡」って、隠キャのコンプレックスの反動で自惚れて害悪になっていることが多いから、「万葉集の頃から、誰でも占えるよ、自惚れんな闇堕ちすんな」という風穴を私は大切にしています。
真面目に研鑽している一流の占い師さん達も何人か直接に繋がっているけれど、(良い意味で真面目で)頭硬いというか、占いの文献とか占いについては規定範囲内で勉強しがちなのを見たので、子供心で明日の天気を観る、街ゆく人の声を聴く、パッと素直に世界を観て「解る」等をやってほしいと思っています。
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